Column

洗脳とアイデンティティ

”洗脳”と聞くと、弱い者を相手にした犯罪や、異常な新興宗教を連想してしまう。そして、自分には確固たる価値観があり、洗脳などとは無縁、簡単に洗脳されてしまうのは自己が形成しきれていない未熟者の証拠だと思っていた。

Future citizen
Creative Commons License photo credit: FredArmitage

一方、自己や価値観が形成されるためには、周りからの影響がかなりのウェイトを占めている。いや、周りからの影響が全てだと云っても過言では無いかも知れない。”周り”とは、すなわち文化のことである。文化といっても実際には、教育・家族・家族以外の対人という形で影響することとなる。風土・気候も少なからず影響するに違いない。最近に至っては、メディアが活性化した結果、様々なメディアからも大きく影響されることになった。

こう考えると、我々は皆”文化”から洗脳されているのでないか、という疑念が沸いてくる。”自分の”価値観・アイデンティティだと思っていたものは、実は洗脳された結果なのかも知れない。そうなると、”自分はこう考える”だとか”自分はこのような物の見方をするのだ”といった、いままでの主張が全て何かの複製品のような気がして、なんとも自己が崩れてしまうような不安な気持ちになってしまうし、洗脳など決してされないと思っていた自分は、実は洗脳済みの自分だったということになる。しかし、ここまで考えてしまうと、もはや受け入れるしか無いだろう。

最近の北朝鮮の報道を見ると、戦時中の日本の状態と重ねてしまい、洗脳の恐ろしい結果だと捉えてしまう。もちろん私は戦時中には生まれていないが、当時の日本の”天皇万歳”や”お国のために”は知っているし、それが時代遅れだったということも、学校教育で学んでいる。さらに、あの魅力的な米国映画からは、そういったものがいかに軽蔑すべきもので、恥ずべきものなのかという概念まで植えつけられてしまった。従って、我々の目には、北朝鮮は正しくない状態であり、国民全てが洗脳されてしまった恐ろしい状態だと映ってしまうわけだ。しかし、当然彼らの目には、西洋文化が正しくないのであり、西洋文化に染まった日本も軽蔑すべき国だと映るであろう。彼らは彼らなりに洗脳されているし、我々も我々なりに洗脳されているのだ。恐らく、今後も人類は洗脳から免れることは出来ないだろう。ではアイデンティティを守るためにはどうするべきなのか。

西洋文化や資本主義は悪である、という教育を彼らが受けているだろうことは容易に想像が出きる。我々との微々たる違いは、この”教育”にあるのだと思う。我々は少なくとも、どちらが善でどちらが悪という教育は受けていない筈だ。大切なのは、いかに中立の立場で教育を行うか、いかに洗脳しないように注意して教育を行うかということではないだろうか。なぜなら、世の中には小説、音楽、大金をかけた魅力的な映画など、簡単に人を惹きつけることのできる危険な洗脳手段が溢れているのだから。